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パネルディスカッション「邪正論による治療」

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レジメ

2017年4月16日

パネルディスカッション「邪正論による治療」

発表:岸田美由紀、山森伸樹、二木清文

司会:小林久志

タイムキーパー:木下ゆかり


 小林:皆さん、おはようございます。2017年の4月ということで今日から新年度が始まりました。今日は滋賀漢方鍼医会としてたぶん初めての試みだと思いますが、パネルディスカッションを行いたいと思います。今日取り上げるテーマですが「邪正論による治療」ということで進めさせていただきます。
 滋賀漢方鍼医会としても昨年の夏期学術研修会の愛知大会以降ぐらいから邪正論に取り組む先生が非常に多くなってきました。一斉に邪正論をやろうと号令をかけたわけでもないんですが、非常に邪正論に興味を持って治療に取り組まれている先生が増えてきました。ですが、その反面、今までの気血津液論による治療との違いから、邪正論の治療が臨床をやるにはよくわからない、ちょっと難しいなという人があるのも確かです。これは昨年の夏期研の時に私、何人かからもお聞きしました。ベテランの先生は経験も豊富ですし、新しいことがでてきてもそれなりにちゃんと取り入れて治療はされています。もちろん「俺は気血津液論1本でやってる」という先生もおられますし、「俺は邪正論100%や」という先生もあるんですが、ベテランの先生は別にいいんですよ。昨日今日入ってきた先生も逆にいうと真っ白な状態ですから結構すんなり入ってきたりするんですね。1番たいへんなのが入会して5〜6年ぐらいの人でしょうか。今までやってきたことと邪正論とがちょっと混乱しててわからないとか迷ってるという人が結構おられたように想います。今回はそういう人のためにということではないんですが、とりあえず今日は臨床で邪正論の治療をしておられます3人の先生にパネラーとして話をしていただきます。今日は午前だけでなく午後からもパネラーの先生に実技公開をしていただきます。その後も質問会の時間を持ちますので、邪正論の治療をためらっておられる方は今日をキッカケに、一つの参考としてより学術を深めていただけたらいいかなと思って企画をさせていただきました。
 ということで今日全体の司会を担当させていただきます小林と、タイムキーパーをしていただきます、

 木下:木下です。よろしくお願いします。

 小林:よろしくお願いします。
 では、続いてパネラーの方の紹介をさせていただきます。まず1番目が岸田美由紀先生、2人目が山森伸樹先生、3人目が二木清文先生ということで順番はこの通りで行きたいと思います。それと今日パネラーの先生に話しをしていただきますが、話の内容に共通のポイントとして盛り込んでいただく内容があります。まず1つ目が「従来の気血津液論による治療と邪正論による治療をどのように考えているか」ということです。2つ目が「診察と治療の方法手順」ということで、これは小さい項目が3つあります。まず1つ目が「気血津液論と邪論の使い分けをどのようにしているか」ということです。2つめが「補瀉の手法」についてです。3つ目が「その他、従来の治療から変更した点」ということです。これらの項目を話しの中に盛り込んで発表していただきます。
では、今回の時間管理について木下先生のほうから説明していただきますので、よろしくお願いします。

 木下:時間配分なのですが、パネラーの先生方の発表が15分、各グループごとのディスカッションが15分、その後グループのリーダーがパネラーの先生方に質問する時間が7分となっております。発表とディスカッションは15分ずつなのですが、13分の時点でいったんベルを鳴らします。残り2分でまとめに入っていただきます。では、よろしくお願いします。

 小林:では、邪正論による治療ということで1人目は岸田美由紀先生です。では、よろしくお願いします。

 岸田:はい、ただいま紹介していただきました岸田です。よろしくお願いします。やはりトップバッターというのは、緊張しますけども、この15分の話が終われば後は気が抜けるので、まあいいかなと今、自分を納得させています。内容がちょっと盛りだくさんですので、もう早速内容のほうに入っていきたいと思います。

 先ほど、小林先生から紹介がありましたように共通ポイントに沿ってお話しをさせていただきます。まず1番目の「従来の気血津液論による治療と邪論による治療をどのように考えているか」ですが、お配りしたレジュメの通りに私は考えています。一応、気血津液論は病んでいる臓腑の精気の虚に注目し、邪論は邪として病を起こす原因に注目して治療する違いはありますが見方の違いであって相容れないものではないということです。実際、臨床ではどのように考えているかといいますと、気血津液論、邪論というふうな2つの論が今、漢方鍼医会で、そのほかの論もありますけども、主となって議論されているわけですけども、私としてはあまり気血津液論、邪論といふうに分けて考えてはいないというか、そういう理論そのものをあまり臨床の中では考えていません。というのは、この段のレジュメの下のほうですけども私自身、鍼治療において直接精気を補うとか、邪気を抜くというのは直接はできないというふうに考えています。私たちができることというのは、経絡に流れている衛気と営気のこの2つの気を鍼を使ってどのように調整するかということしかできないと思っています。その衛気と営気の操作によって経絡臓腑の機能が回復して、その後に臓腑の持つ気血津液が回復して、その後に邪が入っているのであれば邪が排出されるというふうに考えています。今までの治療経験からいうとそのように感じています。邪論が出る前から邪というのは観察していて、気血津液論で治療をやっていてもちゃんとうまく治療ができて気が十分に巡り出すと、邪というのは勝手に出て行くんですね。出て行き方は邪によって入り方によって違うのですけども、例えば足から入ってきた冷え、寒邪ですけども、そういった寒邪なんかは気血津液論でやるとやっぱり同じように足から抜けていくのを観察したりしてますし、ですからそういったことを観察からいうと邪論、気血津液論というふうに分けて考える必要はないのではないかなというのが、私自身、個人的な意見です。
 そうしたら何を基準に置いているかといいますと、私は経絡の虚実を診て治療しています。例え邪に犯されていたとしても患者さんの体の状態によっては瀉法ではなくて補法を必要する場合もありますし、内傷の病、例えば七情の病であっても補法ではなくて、瀉法を必要とする場合もあると思います。患者さんの欲している補法、瀉法という刺激というとちょっと語弊があるかもしれませんけども、それが気血津液の不足あるいは邪の侵襲に依らず、患者さんの体の状態によって補法、瀉法というのは必要とするものが違うということですね。
 で、その経絡の虚実をどうするかといいますと、次の共通ポイントに移るのですけども気血津液論と邪論の使い分けの判断ということでレジュメのほうに書いてあります。場所としては任脈上の気海穴から関元穴の範囲、およびその両わきの衝脈、いわゆる丹田といわれている場所に当たります。そこの虚実を診て判断しています。
 ここを診ようと思った根拠ですけども、この下の資料というところに、それぞれ資料として古典の条文を出しています。まず根拠のキッカケとなった難なのですけども、これは難経八難にありまして、ここには「十二経脈は皆な生気の原に係る。所謂、生気の原は、十二経の根本を謂うなり。腎間の動気を謂うなり。これは五臓六腑の本・十二経の根・呼吸の門・三焦の原なり。一名に守邪の神なり」というふうに条文があります。ここで腎間の動気というところが五臓六腑や十二経の元になっているというふうに書かれているんですね。腎間の動気とはどこにあるのかといいますと、難経の六十六難に「臍下腎間の動気は人の生命なり、十二経の根本なり」というふうにあります。ですから臍の下に腎間の動気というのはあるのだとわかります。さらにもうちょっとその場所を特定するために『医学正伝』という書物があります。これは明の時代に書かれた書物なのですが、ここに「腎間の動気は,臍下気海丹田の地なり」というふうにあります。気海は気海穴というふうに解釈していただいていいと思います。丹田というのを今度は漢方用語大辞典で調べますと、いくつか用語の解説があったのですが、ここで適切だと思う文だけ抜き出してみました。Bとして「石門穴の別名。また陰交・気海・関元も丹田という。ただ通常は関元穴が丹田である。」というふうに書かれてありました。なので丹田というのは任脈上の陰交穴から関元穴の間にあるというふうに考えられます。
 あと衝脈についても調べてみました。「衝脈は経脈の海なり。『素問』痿論篇」、「衝脈、任脈、皆胞中に起こり上りて背裏を循り、経絡の海となす。『霊枢』五音五味篇」、それから「衝脈は五臓六腑の海なり。五臓六腑皆ここに稟く。『霊枢』逆順肥痩篇」、他にも載っているのですけども、衝脈も任脈と同じように経絡や臓腑の状態が、任脈と同じような働きがあるというふうなことが古典の中に書かれてあります。ですので、狭い範囲で診るよりは、広い範囲で診たほうがわかりやすいだろうと思いますので、任脈上の気海穴から関元穴の範囲およびその両わきの衝脈と、いわゆる丹田とよばれているところの虚実を、経絡の虚実の判断として使うようになりました。診断の仕方ですが、まず診断部が軟弱、陥下、冷えなどの所見があれば虚と判断して補法を用います。診断部が堅くざらつき、膨驕A熱感などの所見があれば実と判断して瀉法を用います。これで補法、瀉法どちらを使うかというのを決めてます。

 次に具体的な補瀉手法に移りますが、補瀉手法では衛気の補瀉と営気の補瀉を使い分けています。

 衛気の補瀉手法はまず衛気の補法、これは経に従って鍼を寝かせる、従来の衛気の手法のことです。衛気の瀉法、これは経に逆らって鍼口を開いて鍼を寝かせる。経に逆らってですから迎隨の補瀉を組み合わせているのですね。経に逆らってそして気が抜けやすいように少し鍼口を開いて寝かせます。もちろん最後、抜鍼時も鍼口は閉じないです。これが衛気の瀉法。
 営気の補瀉手法、まず営気の補法は衛気を払ってから経に従って鍼を立てる、これは従来の営気の手法です。営気の瀉法、これは衛気を払ってから衛気と同様に経に逆らって鍼口を開き鍼を立てる。というふうに操作をしています。ですから補法に関しては従来通りの衛気と営気の手法を行っています。瀉法に関しては迎隨の補瀉を組み合わせて経に逆らって、それぞれ手技を行う。あと鍼口を開くというのもありますけども、経に逆らって行うということをしています。
 この4つの補瀉手法を治療に使っています。この補瀉手法をどのように使い分けるかですが、補瀉については先ほどの丹田の虚実を診てですが、衛気か営気かの区別は難経の六難の条文に脈の浮沈に関する条文があります。読んでいきますと「これ浮かぶるに損小、これを沈むるに実大なるが故に陰盛陽虚という」、要するに指を浅いところに浮かべたときは脈があまり触れない、けれども指を沈めていくと脈がはっきり触れる。いわゆる沈脈なのですけどもこの場合は陰盛、陰気が盛んですから営気が有余、それから陽虚ですから陽気が不足していますので、衛気の不足と診ます。だから、脈が沈であれば衛気の不足、営気の有余と判断します。もう一つ「これを沈むるに損小、これを浮かぶるに実大なるが故に陽盛陰虚という」、これは指を沈めたときには脈はあまり触れない。けれども指を浮かべると脈がはっきり触れる。要するに浮脈のことです。このときは陽盛ですから陽気が盛ん、だから衛気が有余、陰虚ですから陰気が不足ということで営気の不足となります。だから脈が浮であれば衛気の有余、営気の不足と判断します。これらを組み合わせて判断しています。
 まず脈が浮で丹田が虚の場合、ですから脈が浮というのは衛気が有余、営気が不足ですから丹田が虚ということは、体が補ってほしい、補法を欲しているというふうに解釈しまして、足りない気を補います。ですから用いるのは営気の補法を用います。
 次に脈が浮で丹田が実の場合、この場合は衛気が有余で丹田が実ということは体が瀉法を欲しているということで気があるところから気を抜きます。ですから衛気の瀉法を用います。同様に脈が沈で丹田が虚の場合は衛気の補法を用います。脈が沈で丹田が実の場合は営気の瀉法を用います。
 あと脈の遅数によって陰経と陽経を使い分けます。数脈の場合は陽経を用います。
 治療経と治療経穴については脈状と尺膚で判断していきます。弦脈であれば肝経・胆経、治療穴は木穴、洪脈であれば心経・小腸経、心包経・三焦経と火穴、緩脈であれば脾経と胃経と土穴、渋脈であれば肺経と大腸経と金穴、滑脈であれば腎経と膀胱経と水穴です。
 その他から従来からの変更点ですが、標治法においてだいぶ変わりました。まず熱のあるところを瀉した後に、あとは表面が虚しているところに鍼をやや浮かせて、そして寝かせて経絡の流注に従い流します。実際は午後からの実技でお見せしますので、そちらで見ていただければと思います。

 小林:はい、岸田先生ありがとうございました。

 小林:はい、では、ディスカッション終わっていただいて、岸田美由紀先生の発表に対して、今、ディスカッションしていただいた内容また質問等があれば各班のリーダーの先生、発表をお願いしたいのですけども、それでは1班のほうからお願いしたいと思います。

 井上;はい、1班のほうからです。まずちょっと岸田先生のお話を聞いて思ったのは従来の邪論とは違うのかなという印象を持ちました。特にどこどこに邪が入っているとかあるとかではなくて、お腹を診ることで体の全体に邪があるかどうかというふうな判断の仕方をされているのですか。
 岸田:邪がどこにあるかというのはもちろん特定の経絡に入っている場合もありますけども、実際どこにあるかというのは、結構、広範囲に存在してたりすることもありますし、特定するというのは難しいと思います。ただ治療としてはどこの経絡を使うかというのは脈状それから尺膚で決めてますので、全く従来の考え方とは違うとは、私自身は思っていないのですけども。

 井上:今までの治療を見ているとそんなに変わらなかったのですが、文章で読むとなんかちょっと違うのかなと思って聴きました。
 あとちょっと疑問に思ったのが、あとで臨床のほうで見させてもらえると思うのですけども、瀉法の時の鍼口の開き方とかその手法について、ちょっとやっぱりどんなものかが今までの従来の補法だったら寝かせる立てるのと違うので、ちょっとやっぱりそれが気になりました。
 それとあと邪が抜けたあとというか、もちろん最初のお腹の判断もそうなのですけども治療終わったあとの邪が抜けたあとのお腹の状態というのは、いったいどういうものなのかとか、治療後はどういうふうな判断でこれで治療終わるのかとか、ちょっとそういう所もまた聴かせてもらえたらと思います。
 岸田:はい、お腹の判断についてはやはり丹田の所を見るのですけども、虚していれば冷えとか陥下というのがありましたから、それが治療によって温かくなってきたりとか軟弱だったのが少しはりが出てくる、まあ、いい状態になってくるようになれば、それは治療が正しくできてるというふうに判断できますし、瀉法した場合でしたら、丹田、具体的に見ているのは任脈とか衝脈、経そのものなのですけども、そこの盛り上がりがなくなって平坦になるだとかちょっとざらついたのが滑らかになるとかというような変化はあります。
 で、脈については先ほど手法の衛気か営気か決めるのに脈の浮沈というのを言ってましたけども、浮沈が整ってきて、浮ならず沈ならず、ちょうどいい感じのいい位置に、まあいわゆる昔でいう中脈ですね、に整ってきます。ですから脈が浮いていて例えば衛気の瀉法をすれば沈んでくるし、脈が浮いていてもし丹田が虚していて営気の補法が欲しているときは、その営気を補うことによってもやっぱり脈が脈が沈んできますし、ということでとにかくちょうど中脈に脈が浮沈がなくなって中脈にそろってくるという感じにはなってきます。

 小林:はい、そしたらちょっと時間が超過するかもしれませんけども、そしたら2班のほうお願いします。

 中尾:はい、すいません。2班ですけども、はじめのレジメのことなんですけども1ページに書かれている「内傷であれ病の発症は精気の虚から始まる」と書かれていました。ずっと読んでいったら最後に「七情による内傷であっても治療に瀉法をする必要がある」と言われたのですけども、この七情による内因というのは、これは邪として捉えるのでしょうか。
 岸田:考え方によっては邪として考える先生もおられるでしょうねという感じです。

 中尾:はい、それからもう一つなんですけども丹田を重視されて瀉法・補法と書かれて非常にわかりやすいのですけども、どうしてこの丹田を中心に見ようとお考えになったのでしょうか。
 岸田:丹田を見ようと思ったキッカケは昨年の夏期研を聴いてから、どうも補瀉手法というのが、先ほどは話しの中で言わなかったのですけども、どうも気血津液論イコール補法、邪論イコール瀉法というのが、漢方鍼医会、私の思い込みかもしれませんけども、なんかそういう感じになっているように感じました。実際そうではないのではないかなと。
 例えば邪に犯されていたとしても瀉法一辺倒ではなくて補う補法を必要とすることもありますし、またその逆もあると思うんですね。だから病体によって補瀉というのはその時々で違うのではないかと。
 補瀉を判断できる術はないかなということで注目したのが、この丹田という所だったのです。文献を調べてみると難経や素問・霊枢など古典にもいろんな根拠となるような条文がありましたので、ここは使えるなということで使っています。

 中尾:はい、ありがとうございます。そしたら最後にですね。一番最後に言われたのですけども、あとでまた午後からのたぶん実技で見せていただけるとは思うのですけども、その他、従来からの変更点、標治法「熱のあるところに瀉した後、表面が虚しているところに鍼をやや浮かせて寝かせて、経絡の流注に従い流す」ということがあるのですけども、もうちょっとわかりやすく説明していただけないでしょうか。
 岸田:そうですね。これは実技をしながら聴いていただくほうがわかりやすいと思うのですけども、熱のあるところを瀉すというのは従来、邪抜鍼とかいってていしんをひっくり返して、気が停滞している所というのは熱がありますので、その熱のあるところにていしんを持っていって、鍼を近づけていくと鍼に振動が伝わるというのでしょうか。気の面に触れたという感じがあります。当てているだけでも気は抜けるのですけども、私はさらに早く気を抜きたいので捻転の補瀉で、反時計回りに回しています。それで気を抜いて気を流すということをした後に、鍼を横に親指と人差し指で挟み持って、挟み持つというと普通の持ち方のように見えるのですけども、寝かせて持ります。持ち方はさっきの気を抜く手法と同じように竜頭のほうを先端に持って鍼先を自分のほうというか反対側に向けるのですけども、動かし方というのはこう撫でるような感じで手法を行うので、その経絡の流注に従って流すような感じ。で、鍼先がその流注に向かうようにということでやっています。これでよろしいでしょうか。
 中尾:また見せていただきます。よろしくお願いします。
 岸田:はい。

 小林:はい、ありがとうございました。では時間がちょっと超過していますので、これで一人目、岸田美由紀先生の発表を終わります。続いて二人目、山森先生の発表になります。準備ができましたらお願いします。

 小林:はい、それでは2人目になります。「邪正論による治療」ということで山森伸樹先生よろしくお願いいたします。

 山森:題には臨床への邪論の導入ということで書かしてもらいました。
 まず1番目の従来の気血津液論と邪論をどのように考えるかということです。邪論といっても気血津液論といっても、病気をどの角度から見るかの違いです。要は正しく証を立てさえすれば病気は治ります。極言すれば治療家の好みによってどちらかを選べばよいわけです。しかし臨床をしていますとやはり邪論のほうが適する。気血津液論のほうが適するという場面はありますので、両者を適宜に用いるのが理想的であると思います。

 2番目、診察の治療の手順ですね。気血津液論と邪論の使い分けをどうするか。ということですけども、これも私はまだ結論が出たというわけではありません。今現時点で考えているのは、発症して日が浅いものあるいは発症の日時が比較的はっきりしているものについては邪論を考えるということです。例えば朝起きたら首が回らなくなっていたとか、昨日夕方からだんだん腰が痛くなってきた。というような場合です。あと邪論と判断をしたならまずどの邪がどの臓腑経絡に入ったのかを明らかにします。まず邪の種類の鑑別、これは問診をまずします。問診をするときの手がかりにしているのは、各外邪ごとの特性やあと病症を使って問診します。風邪であればめまいとかけいれんとか、あと浮腫それから頭痛で。寒邪であれば患部が冷たい、体が冷えた感じがする、動かし始めが痛いけど動かしているとだんだん軽減する、動かすと引きつるような感じがする、温めると楽になる。湿邪の場合は重いとかだるいとか、同じ姿勢を続けていると症状が増悪するとか、むくみ冷えなどの症状を尋ねます。次、切診ですけどもこれは難経の十三難ですね。尺膚と脈状との関係を診て判断します。これは森本先生の説にならって三菽の重さで診るように心がけています。次、どの臓腑経絡に入ったのかこの手がかりは、この場合の問診ですけども、例えば肝であればぎっくり腰とか寝違いとか頭痛とか、そういう症状ですね。心であれば動悸とか耳鳴。脾であれば下痢とか腹痛とか、関節の腫れ痛みですね。肺であればカゼひき、体が寒い、動くのが嫌になるなど、動きたくない。腎であれば例えば頻尿とか足腰の冷えとか一般的に知られている臓象論や臓腑の病症を参考に問診をします。

 次、手法ですね。手法はシンプルに営気の手法をやります。まず衛気を払って、で、ていしんを逆さまに持って経の流れに逆らいます。この鍼先、竜頭のほうですけど、2〜3ミリ程度離した状態で保持します。で、治療ですね。本治法は陰経と陽経を対にして用いることが多いです。選穴は邪の種類と五行とを関連づけています。風邪であれば木穴、暑邪であれば火穴、飲食労倦であれば土穴、寒邪であれば金穴、湿邪であれば水穴という具合です。なぜ陽経を用いるのかというと特に運動器の疾患であれば患部を通る陽経にも邪が着していると思われるからです。

 次、標治法。これは主に頸肩部および腰仙部のツボを用います。頸肩部では亜門・天柱・風池・大椎・肩外兪・肩中兪・附分・魄戸・膏肓、腰仙部であれば京門・帯脈・八リョウ穴・志室などですね。ここら辺から圧痛やら撮診痛のあるものを何穴というか、2〜3穴ですけど選んで茶こし灸による透熱灸をします。

 ちょっとここで症例を二つ、第一例目ですけども、左側の偏頭痛、去年の3月16日ですね。52歳になる会社員の男性が偏頭痛を訴えます。来院した日の朝から頭痛がしている特に思い当たる原因はない。痛むところは左側の側頭部全体がズキンズキンと痛みますと、脈を診ると弦で数の脈を打っています。これは時期的にも春なので、風邪にやられたのではないかと思いました。左足の足臨泣ですね。押圧してみるとものすごく痛がります。結構逃げるくらい痛いです。ここを営気の軽擦をするとですね。弦数の脈が落ち着いてゆったり打ちます。それで足臨泣に営気の手法をしますと、数秒間で頭痛が消失して、正直ここまで効くとはいう。自分も患者さんも驚くということで、とりあえずその1本で頭痛が完全になくなったので、治療終了としました。
 2例目、これは45歳の女性です。初診は今年の3月1日、主訴は左の首が痛くて回らない。3日ぐらい前から首が痛いなと思っていたところ、来院日の朝ですね。朝起きると首が回らなくなっていた。無理矢理にその首を左側に回旋すると左の側頚部から肩甲間部にかけて響いて痛いと、患部を触診してみると明らかに左側のほうが冷たい。ということで筋肉系の病症と考えて、肝病で寒邪が入ったと考えました。それで右肝経の中封から営気の手法を行いました。こうすると患部の緊張が緩んでちょっと温かみが出て来ました。次に陽経を調べると左側の天窓、小腸経の天窓、首のほうの天窓ですね。撮診痛がありましたので、小腸経の変動と考えて井金穴の少沢からまた営気の手法をしました。そうするとだいたいこれで首が回旋がしやすくなって、その次に標治法として左側の風池と肩外兪に透熱灸をしました。これで痛みが7割方減少したということで、あと3月の3日と6日に計3回治療して、いちおう治療終了と言うことですね。

 その他、従来からの変更点、第1に治療がシンプルになったなというのがありますね。何の邪がどこに入ったのかというのをわかれば治療ができますので、とりあえず邪を抜くということをすれば治療ができますから、病理考察も治療も非常にシンプルになりました。本治法も陽経を入れても多くて3穴、標治法も多くても2穴・3穴ぐらいでだいたいすみますので、治療時間も短縮する傾向にあります。

 あとですね、今後の課題ですけども、慢性症であっても邪論で治療した方がよいという場合が確かにあります。こうなると気血津液論との使い分けというのが非常に問題になります。また最近本部でトレンドになっている時邪ですね。どのように治療に入れていくのかというのも、ちょっと考えないかんなというところです。まあ、そういうことですから邪論を使えるようになると治療の幅、確かに広がると思いますので、邪論、今後も研究していきたいなと思います。以上です。

 小林:はい、山森先生ありがとうございました。それではですね。ディスカッションの時間に入りますけれども、ちょっと時間が超過してきてますので、申し訳ないのですけどもディスカッションの時間を10分にさせていただきますので、2分前にベルを鳴らしますので、よろしくお願いします。では、始めてください。

 小林:はい、ではディスカッション終わっていただいて、では山森先生に対してのディスカッションで出た内容また質問等があればお願いします。では、今度ね、ちょっと2班のほうからお願いします。

 中尾:はい、いろいろ話したのですけど、全然あれなんですけどね。一つだけお願いします。始めに治療されてて、第1日目、邪論で治療されました。2日目様態変わりましたということで気血津液論で治療しました。これポイントもしかしたら邪論から気血津液論に変わることがあると思うんですよ。
 山森:はい、あります。
 中尾:そのポイントをちょっと詳しく教えてほしいなと思っていて、それだけです。 
 山森:これはですね。ここで言うのは微妙なんですけど、何の邪がくっついているか調べる方法が一応あるんですね。それは入江式のフィンガーテストやったりするんですけど、それをやってみると、邪がくっついているときには母指と示指がスティッキーになるのでわかるんです。邪がなくなると母指と示指がスムーズになるんで、それでもう決めてるんですよね。他のもっと伝統的な方法で、どうやって決めるか言えたらいいんですけども、こういうことです。すみません。これ、また、実技でやります。この会でこういうこと言っていいものかどうかちょっと。まあ、どうするかは実技の時、またやりますので見てください。
 中尾:はい、ありがとうございます。

 小林:はい、では実技の時にやっていただくということで。では、続いて1班のほうお願いします。

 井上:はい、まず一つ、また実技の時に見せてもらえばいいと思うんですけども、竜頭を2〜3ミリ離すと言うことで、本来なら衛気の手法は離すんですけども営気の手法でも離してどうなのかないう疑問がちょっと出ました。
 山森:はい。
 井上:それと邪の判断、たぶん文章にしたからちょっと余計にわかりにくいのかなと思うのですけど、この文章だけで見ると邪の判断を急性とあと慢性のほうでかなり大方決めているのかなとふうにちょっと見受けられるのですけど、実際にね、今までの治療を見ていると脈とかそういうふうなので判断されているので、ここら辺、ちょっと書き方の違いなのかなと思いますがどんなものなのでしょうかね。
 それと本治法ですけど、山森先生は邪論の場合は営気の手法を使われていますよね。ただその本治法は陰経と陽経を対にして施術するということなので、その陰経もこれは営気の手法で、陰経と陽経、両方とも営気の手法で治療されているのかなという。
 あと相剋とかそれなどはどういうふうなところで治療していますか、ちょっとそれだけ聴きたいです。
 山森:まず1番目、鍼を着けないという話しなのですけど、これは実は衛気の手法でもくっつけないこともあるんですね。何でそうしているかというと鍼先を皮膚にこう接触させていると、案外、気が動かないということを、最近経験するようになったんですね。脈状も堅くなったりとかするんで。どうしようかなと思って、いろいろ考えてたら、鍼先を皮膚にこう近づけていきますと、抵抗感というのが感じられるわけですね。抵抗感のところで鍼を留めて、鍼を微妙に動かすんですね。そしたらこうなんか集まってくる感じがします。そのときにズルズルという感じでゆっくり抜くんですね。そのほうが脈状がよくなりますし、体の変化も大きいなというふうに感じられます。
 次に邪の判断ですね。えーと十三難ですね。十三難の脈と尺膚の関係ですね。これはもちろん診ます。で、その確認のために問診をしていますということですね。次、えーと。
 井上:本治法でのその陰陽の、営気で両方とも。
 山森:はい、これ本治法は陰経も陽経も両方、営気の手法です。で、相剋?
 井上:意識されていますか。そういうの。
 山森:相剋ではなくて、症状のある患部ですね。患部を通っている経絡を一応考えます。だから相剋ということではなくて、陽経はまさに病気のある経絡はどこやというのを考えて治療します。
 井上:ありがとうございました。

 小林:では、続きまして3人目になります。邪論による治療ということで二木清文先生、よろしくお願いいたします。

 二木:はい、よろしくお願いします。3人目なのでちょっと疲れてきたかもしれませんけど、これが終わったらご飯です。
 まず従来の気血津液論による治療と邪論による治療をどのように考えているかということなのですけど、これは単純に引き出しは多い方がいいと思っています。先ほどの岸田先生も言われていましたし、山森先生も言われていたのですけども、だから「代わり映えのせんこと言うから面白くない」と言えば面白くないんですけども。そんなにね、ものは違わないと思っているんです。
 要は、そのアプローチの仕方が違うというだけのことで。まあ、ホームランをガンガン打てるバッターがホームランをどんどん狙っていくのか、シングルヒットしかよう打てへんから犠打を多用しようかとかそんなんじゃなくて、このときには何ができるということを、フォアボールでも何でも狙える。ただ、ホームランばっかりを狙うというのはよろしくはないだろうとは思っているんですけどね。色々な変幻自在なことをやっていく、そのときに一番適したものを使っていければいいんじゃないかなと思っている、それだけのことです。
 それで、東洋はり医学会に一番最初にお世話になったのですけども、このときに片方刺しによる相剋調整というのが打ち出されていました。例えば肝虚であれば肝・腎と補って、ここまでは六十九難ガチガチです。それで、そこに例えば肺・脾も補うだとか、脾・心包も補うだとか、こういう治療法をされていました。なぜこういうやり方が出て来たかというとやっぱり相剋に対する影響力が及ぼしきれない、それから「もっと効果的に治療するためにはやっぱり相剋経もなんとかせなあかんやろ」ということで、福島弘道先生が苦慮して片方ずつに振り分ければということを考え出されて実行されたんじゃないかなと想像します。
 かなり経絡治療全体像から言うとぶっ飛んだやり方だったのですけど、その分だけ成果はあったと思います。ただ、選択肢が多くなりすぎたのです。それで、今例を挙げたみたいに肝・腎・肺・脾というふうに補うということになってくると、肺の側から補うのか、肝の側から補うのか、それから例えば肝・腎と補ったときに肺だけで止めるのか、肺・脾までいくのかという、もうこれだけでも4つ選択肢が出て来てしまうんですね。これだとかなりたいへん。またそこに陽経の処置なんかをしていると、もう、十二本の経絡のうち、ハッと気がついたら、十経、十一経とかに鍼を入れてたなんていうことがあって、「これは違うやろ」っと思ったのが、漢方鍼医会へ転身するきっかけになっています。
 漢方鍼医会が発足したきっかけは、漢方独自の病理を考察するというところにあるのですが、実技の中核に出てきたのが菽法脈診です。従来の経絡治療で一般的に行われてきた比較脈診(脈差診)との大きな違いは、各臓府の該当する高さの脈を診ようということです。これによって、治療が非常にシンプルになりました。肝と腎が菽法の高さに合えばOKですよということになり、実際そのようにやってみました。これで従来以上に治りますし、中には肝一経だとかで本治法を終えるようにもなりました。
 そうすると今度は、シンプルになりすぎてなんとなく「治療がしにくいやんか」ということが出て来て、そこで反対側から見てみる邪論というのがでてきた、まあ、こんな自然な流れじゃないかなというふうには思っているくらいです。ですから肝実証も含めて、選択肢は多い方がいい、単純にそういうふうに思っています。

 次にいきます。まず気血津液論と邪論の使い分けというところですが、これは2人の先生がすごく苦慮されながら現在、臨床されているみたいなのですけども、まだこれは独自の方法ですし、研究の段階ということなのですけども、使い分けに時邪(じじゃ)ですね、「ときじゃ」と言ったほうがいいかな。これを利用すると便利に判別ができています。
 例えば今の季節(2017年4月16日)ならば二の気ですから、該当する経絡が心経であり、その陽経は小腸経ということになります。これで男は左から、女は右から行うのですけども、この心経と小腸経の井穴を指で二度ほど横切れば脈診での反応が現れます。まず脈状がこの井穴を指で横切ったとき跳ねてしまうもの、これは該当しないと言うことなので、判定から除外します。次に脈が跳ねずに沈むもしくは浮くという反応が出るのですけども、これで沈んだときには邪論から、浮いたときには気血津液論から治療をしていきます。まだ一応の理論なのですが、時邪を払ったことにより経絡がどの方向を向いているのかが丸見えになるというように仮定しています。邪によって押さえつけられているので脈が沈むのか、気血津液の調和がいまひとつの状態なので拡散傾向にあって脈が浮いてくるので気血津液論となるのかということで、考察は成り立っていると自分では納得しています。
 もう少し具体的に、親切にこの一年の中のことを説明します。まず初の気ですけど、初の気の時にはこれは胆経と肝経ということになりますから、大敦と竅陰です。それから二の気は今説明したように少沢と少衝です。心経の場合が少衝でそれから小腸経の場合は少沢と言うことになります。三の気になると、これは心包経と三焦経の担当ということになるのですが、昨年に素直にやってみたのですけども、心包経と三焦経の井穴では反応がわからないので、そのまま心経の少衝と少沢を使い続ける方がいいというふうに臨床からは思いました。四の気になってくると脾と胃ですからこれは隠白と児[。五の気になってくると肺経ですから、肺経の少商とそれから商陽ですね大腸経の。終の気になってくると腎経と膀胱経ですから湧泉とそれから至陰という組み合わせになっていきます。
 このようにして臨床をしていったのですが、なぜこういうことをするかというとこれは難経三十三難を応用しての治療だといえます。脈が数脈のときには陽経から本治法のアプローチを開始した方がいいというのが漢方鍼医会では定番です。邪論も確かに「その流れで使えるよ」という話を最初から聞いていました。
 既に去年の本部で発表をしたことなのですけど、まずその数脈で剛柔で陽経からアプローチした方がいいというケースをだいたい会得したかなという頃に、使っていた経穴がなぜかほとんどが絡穴だったのです。もしくは時々原穴だったので、「なんで他のツボが使えないのかなあ」って思っていたら他のツボは営気の手法をやってみると「これは結構いけるぞ」という手応が臨床から導けてきました。「ひょっとしたらこれは剛柔の法則から邪論もアプローチして、もしそうだとすれば五要穴の主治症のものがそのまま持ち込めるのじゃないか」と追試をしました。
 時間が少し戻りますけど、ぼちぼちと邪論の臨床を開始した頃は邪ですから、跳ねた脈から邪論というのを仮定したならと、こんな単純な発想からやり始めたのですけども、それでやっていくとどうも五要穴の六十八難の病症にだいたい当てはまってくるし、そういう考え方をしていったほうが頭がすっきりするので、陰経での五邪論の治療はこれで使いこなせるようになりました。
 前述のように陽経でも五要穴の主治症で一度当てはめてみると、都合がいいことにうまく臨床が運んだのです。五行を表裏で合わせてというようなことをしなくても、五要穴の主治症で陽経からのアプローチでも臨床が確立できるようになりました。「邪論というものは非常に簡単なものなのです」と五邪論治療の提唱者である大阪の森本先生が講義で繰り返されていたのですけど、森本先生の理解の域には達していないのかも知れませんが租借できてしまえば確かに簡単なものでした。
 それで臨床現場では陰経では気血津液論と邪論とを混在させて運用しているのですから、陽経からでも気血津液論と五邪論が対になって使えるのでありこれは非常に便利です。さらに陽経からの場合は気血津液論と五邪論で使う経穴がはっきり違うのですから、見極める方法がないかなということで追試をしての結果が時邪を応用するということを発見したのです。。

 それで補瀉手法についてなのですけど、これは「新版漢方鍼医基礎講座」に書かれている通りのことしか、今のところやっていません。テキストより多少拡張していることは、去年の夏期研で確認したことなのですけど、営気の手法の場合には流注に従ってまず軽擦をして、取穴できたなら衛気をちょっと1〜2回ぐらい経絡を横切って衛気を除けてから手法をするということをしています。これはもう全体でこういうふうに取り組んでいきましょうということなので、テキストから外れたことを独自にやっているというわけではないのですけども。

 それからそのほか従来からの変更点ということなのですけども、本治法に関してはゆっくりゆっくり変わってきたので自分的には何も変化したつもりがありません。ただ気血津液論と邪論とどっちの方向からアプローチした方が効率的なのか時邪をまず払ってしまうと判断が便利なので、前述のようなステップを一つ追加しています。
 標治法については邪専用ていしんというのが、二木式ていしんのバリエーションの中から製品化されています。皆さん知っておられると思いますけども、ちょうど邪が抜けやすいように形状に作ったものです。これを作ったきっかけは、二木式ていしんをひっくり返して強くグッと押さえると邪が強制的に排除できるんですが、これが痛い。なんとかこれを痛くなくせずに同じ効果が出せないかと単純な発想で作ったのですけど、邪論という治療法校が出てきてこちらの考え方でも使えばいいのではないかなと、応用範囲を広げることができています。
 まず本治法が終わったあとに側頚部に行います。他の先の2人の先生と違うところは、邪論の場合は原則1本しかやりませんというか、邪に対してのアプローチなので、2つも3つもやっていくというのは考え方が混乱してしまうのであり、しかも菽法脈診との関連を言われていなかったのですけども、やっぱり邪論で治療しても菽法の3,6,9,12,15の脈ができなければいけないと思ってますし、実際そのように作っています。ということで、五邪論の場合には本治法は1本しかしないという制約があります。ですから、どうしても取り残しができるのが当たり前です。そのために側頚部に邪専用ていしんをまず行います。これは陽経がすべて通っているので、細かな邪をもう少し塵を払うというそんな感じでやっているということです。実際に脈がすごくきれいになります。気血津液論で本治法をやっていても、邪はやっぱりあるので細かなものが調整されるので持続力がアップします。
 そのほかに、去年のWFAS(世界鍼灸学会連合会学術大会 東京/つくば 2016)に行って、実技公開からヒントを得たもののこれは名前だけもらってきて全く似て非なるものなのですけども、頭に施術をする「ゾーン処置」というものを標治法の一部に組み込むようになりました。月例会の中で先月見てもらいましたけど、頭へ施術することで背部一面とかあちこちが恐ろしくというぐらいに緩みます。しかも汎用性が高く、施術自体が簡便です。実際に治療効果もすごくありますし、「頭がこんなに気持ちいいものだったのか」というのが実寒です。私的なことですけど現在は常勤の助手がいないということで仕事の体制が変わってから最初の1週間、2週間はすごく疲れたのですけど、自分で頭に施術するだけで「全身にこんなに気が巡るものなのか」と、「なぜ今まで頭を使わなかったのだろう」というような処置があるので、これを大いに活用しています。「ゾーン処置」によってやはり邪の処理というのはうまくできているのではないかなという手応えです。午後の実技で、実際にもう一度やってみたいと思います。

 小林:はい、二木先生ありがとうございました。では、ディスカッションの時間に入りたいと思いますので、10分間ですので、よろしくお願いします。
 小林:はい、それでは二木先生の発表に対してのディスカッションで出た内容質問があればということで。、今回は1班からお願いします。
 井上:1班です。まず1つは陰経からか陽経からかのアプローチということで、まず時邪を払うと思うのですけども、それもやっぱりまず数脈、遅数でその陰経・陽経を選んでらっしゃるのかなというのが1つ それと脈状が跳ねてしまう場合、これは該当しないということですけども、その場合は治療のアプローチの仕方をちょっと教えていただきたいということです。
 二木:それはレジメにも書いておきましたけど、陰経と陽経どちらを用いるべきかは概ねは遅数でだいたいわかっています。治療を急いでいるときには、これは数脈ではなくて陽経には該当しないだろうと思うようなものは、もうその陽経側のほう、例えば今の季節だったら少沢はもう確かめずに次の段階へ進めているケースもあります。跳ねている場合は該当しないということですけど、これはやってみればわかることなのですが、陰経か陽経かどちらかかは該当します。今の時期だったなら少衝か少沢かどっちかは跳ねて、どっちかは浮沈の反応がでます。
 それから男か女かということも先ほど話はしましたが、昨日の臨床でしたが何気なく探っていたなら間違っていまして、女性なのですけど左側の少沢と少衝を触診していたので「あれ、どっちも跳ねてんやん、えらいこっちゃなあ、これ、明日発表やのに」と思ったら、「あっ、違ってる違ってる」という話があったりします。時邪を井穴で横に払う方法が「もっとこういうふうにしたら確実に出せる」というクオリティが現時点でもまだ足りないので、大きくは今まで発表してこなかったのです。
 井上;ちょっと意見として出たのが、午後から臨床してもらいますけども、できればですよ、いずれかでいいのですけどそれぞれ先生方3人、やっぱりアプローチの仕方が若干違うので同じ患者さんを診て、どういうふうにするかというところまで実験的に1回やってみても面白いなという意見もでました。
 二木:少々触っても壊れないモデルになってもらわんとあかんねえ。
 井上:以上です。
 二木:壊れる人はダメですよ。

 小林:はい、じゃあ次2班、お願いします。

 中尾:先ほどの時邪の件なのですけど、二木先生は暦通りで最初から確かめておられるのですか。
 二木:はい、これは本部で漢方苞徳塾の先生が講演されたみたいに、多少2日・3日のずれはありますけどもほぼ暦通りに該当する経絡は移動していきます。今年は春分の日が境になっていたと思うのですけども初の気から二の気で、若干重なることありますけども見事に変わっていきました。日照時間なのでしょうか、見事に人体へ影響しているんじゃないかなと思いますも。
 中尾:はい。ありがとうございます。それから2つ目のゾーン処理なんですけども、「この人はちょっとゾーン処理をやったらいけないのではないか」という、そういう不適性な患者さんを診られたことはありますか。
 二木:これもレジメに書いたのですが、ドーゼをやっぱり考慮して、少しサービスがあってもいい人とそうでない人という区別をしています。それで、やらないケースというのは頭に集毛鍼をする人は二重になるので行いません。めまいがずーっと長年30何年持っているんだという人がおられるのですが、月に一度ずつ来院されているのですが、ゾーン処置をやってみて、「それも気持ちいいけども、やっぱり今までの集毛鍼のほうをやってほしい」と言われたんですね。集毛鍼というのは多少なりとも刺さりますから、そうすると鍼口が閉じられていないので気を間引くことに結果的になってしまいます。ゾーン処置の場合は、これはその患者さんの持っている感受性によって邪を出しているということもありますし、気血津液の流れを促進させているということにもなっていると思われます。別の言い方をすると瀉法鍼は、患者さんが好むと好まざるとに関わらず強引に血を動かしていますよね。でも他の衛気の手法・営気の手法とかこのゾーン処置は感受性によって変わってくるのですけども、それでもどうしても気を間引いてほしいという病態があった場合、この場合は集毛鍼のほうがいいみたいなので二重になるので行っていません。それ以外の人はまずゾーン処置を行っています。
 中尾:はい、ありがとうございました。
 二木:ちなみに余計なことなのですけども、少し前にむちゃくちゃにお腹が痛いという小児が運ばれてきました。もう本当に悶絶するというような痛み方だったのですけど、これはやっぱり虫垂炎ではないかなということで、そこまで痛いのだから、いずれにせよ病院は連れていかねばならないという前提で治療を開始しました。最初は闌尾へも手法を加えて立て膝程度だったら痛みが我慢できるようになったのですけど、それでも苦しんでいるからということで、小児にも仰臥位のままですけどできる範囲のゾーン処置をやったのです。そうしたなら、あれよあれよという間に痛みがなくなってしまってもう病院ついた頃にはピンピンしてしまって、結局お医者さんは何にもせずでした。また、そのあとにも多少腹痛が起こって、どうも強度の便秘じゃないかという話じゃないかということなのですけど、結局よくはわからないままです。子供でもゾーン処置というのはすごく効果がありました。
 中尾:はい、ありがとうございました。

 小林:では、これで二木先生の発表は終わります。

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