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胆嚢ガンの術後の原因不明の側腹痛に対する1治験 

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2019年12月15日

胆嚢ガンの術後の原因不明の側腹痛に対する1治験

発表:小林久志


患者:83歳、女性(母親)。
 現在は日々の家事をこなしながら畑で野菜を育てたり庭の草を引いたりしている。また午後からは息子の治療院で受付などをして働いている。83歳で胆嚢ガンで手術をした以外は、若い頃からこれといった大きな病気もせずに来た。


  1.診察について 初診時について
初診:2019年6月14日
 3日ほど前から右の腰というか側腹部に痛みが出だした。元々大腿骨の変形があり50代の頃に田植えの仕事をしている最中に一度歩けなくなったことがあった。そういうことで時々右の腰から下肢にかけて痛みを訴えることがあった 。しかし14日の夜中に激しく痛み出し、右の側腹部、大転子の上手のひらを当てた分くらいが針を突き刺されているように痛くなり、これまでの痛みとは違うという。2月に胆嚢ガンの手術をしていることから色々なことが頭を過ぎる。とりあえずタオルを絞って患部に当てると気持ちよいというのでそのまま様子を見て寝ることにした。
 朝起きて様子を伺うと、まだかなり痛いという。夕方に1度母の様子を見に帰ると、寒いのかストーブを着けて横になっていた。大きな手術をして間がないのに無理をしたからではないかと思ったりもした。以前に母が指を切った時にもらっていた痛み止めの薬が残っていたので、それを飲んだら少し楽になったという。しかし効果のあったのは僅かな時間だけで、夜も痛みのためご飯もほとんど食べず、そして嘔吐した。ほとんど食べていないため上がってくる物はない状態だった。もしものことを考え、病院に行こうかと尋ねるが、「もう少し様子をみる」とのことだった。


 ◆主訴
 右の側腹部で手のひらを当てたほどの範囲で痛みがある。針で突き刺されているような激しい痛み。


 ◆その他の愁訴、既往歴、現病歴
@現病歴 昨年12月に検査でひっっかかり、のち2ヶ月にわたり精密検査を行いほぼ胆嚢ガンであると診断。リンパ節が1.4糎と大きくなっている部分があり転移の可能性ありと言われる。そして2月18日に入院、19日に手術となる。結果リンパ節転移はなく無事に手術を終える。術後は麻酔薬の影響か、激しい頭痛と熱が数日続いた。のち食事を摂れるようになってからも食慾がなく病院のご飯はほとんど食べずにいた。リンゴジュースやソフトクリームなど、口当たりの良い物なら何とか食べられるといった感じだった。退院してからもしばらくは食慾がなく、好きなうどんも1本すすっただけでもういらないという。しかし日常の生活にもどり、日を追うごとに徐々に食慾も出てくるようになった。そうして退院から3ヶ月を過ぎた頃から右の側腹部に激しい痛みを訴えるようになった。

A既往歴 40代の頃から高血圧で降圧剤を服用。また緑内障にて現在も月1で通院。50代の頃から大腿骨の変形 等により腰や下肢に痛みを訴えるようになる。o脚である。


 ◆四診法
@望診:身長約150糎で太り気味。しかし胆嚢ガンの手術後は4sほど痩せる。

A聞診:声は大きくはっきりとしゃべる。受け答えもしっかりしている。

B腹診:だん中穴あたりから正中線に沿って臍の少し下まで大きな手術痕あり。腹部全体はふっくらと柔らかではあるが、少し痩せた分全体に軟弱。脾の診どころ、少し押さえると張っていて硬い感じ。心窩部もやや張っていて、胸には熱がこもっている感じを受ける。また右の患部、側腹部は若干他に比べて熱感を感じる程度。

C脈診:全体的にやや浮、ショク、弦。脉位では左関上の肝の脈が結ぼれるが如く脉。また右関上で脾の脉は、堅さのある脉と診た。


  2.考察と診断
 ◆西洋医学や一般的医療からの情報
 手術前の検査ではリンパ節転移も疑われたが、実際に手術で転移の可能性のあるリンパ節を23箇所切除して病理検査をしたところ、すべて正常だった。術後10日目で半分だけ抜糸をした状態で退院。そして10日後に残りの半分を抜糸。検査では栄養状態も良く、肝機能も腫瘍マーカーもすべて正常とのことだった。


 ◆漢方はり治療としての考察
 元々右の大腿骨は変形があり、腰や下肢の痛みを訴えていた。その上に胆嚢ガンの手術を受けたことで気血の損耗、悪血を生じさせ、更に気血の流れを阻害することになったと思われる。そのことで右の患部に熱がこもり痛みの原因となったのではないかと考えた。


 ◆証決定
 手術によるダメージに加え、術後もかなり無理をして動いていたことが労倦の邪となり、これまでにない激しい痛みと食欲不振を起こしたものと考えられる。他の病症とも総合的に考え、脾虚肝実証として行うべき証と診た。


  3.治療経過
 ◆初診時の治療
@本治法:脾虚肝実証として右の太白に衛気の補法。右光明に営気の手法を行う。

A標治法:頚肩部、背腰部に適宜散鍼を行う。患部にはてい鍼を軽く当てながら、少し長めに気血の流れを促す。ドー ゼのことも考慮しながら、最後に腹部に散鍼を加え初回の治療を終える。
治療を終えた段階では痛みが少し楽になったとのことだった。

 2回目(6月15日)
 朝起きて尋ねると、痛くて食慾もないという。水も飲みたくないという。昨日と同じく脾虚肝実証にてほぼ同様の治療を行う。

 仕事をしていると救急車の隊員の方から電話があり、「お母さんをこれから大津○○病院へ搬送します」とのことだった。すぐに姉に連絡を取って病院へ行ってもらう。仕事をしていても落ち着かなかったが、治療が終わって4時半頃に姉に電話を入れる。すると、点滴をしてもらって痛みと吐き気も楽になったようだとのことで、今から車で一緒に帰るとのことだった。母が買い物をして帰りたいと言っているようで、それくらいなら大丈夫だろうと安心したのもつかの間。仕事から帰ると母がまた痛くて辛いと寝ていた。むかずきもあって何も食べたくないという。内臓に何かあったらと思うと心配でならない。

4回目(6月17日)
 母の定期検診の日。これまでの経過を話す。主治医曰く、「CT検査や血液検査、また救急で来られたときの検査でも内臓に異常はありませんでした」と。痛みはぎっくり腰のようなものかも知れないから整形外科で一度診てもらってくださいとのことだった。とにかく食事が摂れていないことから痛み止めの座薬を入れてから点滴を行う。痛みが少し楽になったせいか売店でソフトクリームを買ってまるまる一つ食べる。しかし治療院にもどる頃には痛みが出てくる。一番気になっていた内臓には異常がないとのことがわかり、そうなればはり治療で何とかするしかないと覚悟を決める。
 脈状はやや浮、ショク。点滴をしたせいか、いつもより潤って軟らかな脉に思えた。
 本治法は、肝虚陰虚証で左の曲泉、右の豊隆を補う。10分ほど何もせずに気が巡るのを待つ。のち背腰部に散鍼を加える。そして骨盤矯正を行う。右足が左足よりも短く、骨盤も右側が浮いている感じ。ゆっくりと右側の浮いている部分を 押さえる。仰向けにして膝を曲げながらさらに骨盤を押さえて矯正を行う。
 そして様子を伺うと痛みが楽になったとのこと。完全とはいかないまでも何度か治療をすれば良くなるのではと想えた。とにかく痛みが軽減できてよかった。

5回目(6月18日)
 調子良くて昼はお餅を焼いて半分だけ食べ、味噌汁も少しだけ飲むことができた。しかし調子に乗って部屋や階段を 掃除していたらまた腰が痛くなったという。
 治療は昨日と同様肝虚陰虚証にて行う。しかししばらくして治まりかけていた痛みが再発。治療する前よりも痛くなってきたという。早く良くしたいという気持ちからドーゼを過ごしてしまったようだ。悪化させてしまったことに自分自身ショックを受ける。

6回目(6月19日(
 体がしんどそうだ。痛みも変わらず。朝はカップラーメンを1本すすっただけで何に
も食べたくないと。どうにか食べないとと本人も思ってはいるが、口が苦くて何も食
べたくないという。唯一変わらずに食べられたのがかき氷だけだ。
 治療は、胃経の豊隆穴を1穴だけ補う。後は手足を撫でさする。

 このままでは体力がもたないと夜にドラッグストアへ。総合栄養剤のエビオスを購入。ビール酵母からできていてビタミンだけでなくミネラルやアミノ酸など沢山含まれているという。これを通常の半分だけ飲ませる。
 他に母がほしいと言っていたカップのかき氷を出すと早速食べた。おくらの煮付けも2つ食べることができた。

9回目(6月21日(
 肺虚肝実証にて治療。左の復溜と小腸経の陽谷に営気の手法。痛いという患部に母が鍼を刺してほしいという。置鍼 する。抜鍼時は表面の邪を抜くように瀉的に行う。
 脈診すると、堅さのある脉が軟らかくなり、浮きたいが浮けないような苦しそうな脉が全体にゆったりした脉になった

10回目(6月22日)
 朝6時に起きて母を治療する。脈診すると陽経が皆ぷかぷかと邪のような物が浮いている。夕べは治療して少し楽だったがまた痛くてしんどいようだ。口も苦いという。これは熱が籠もっているに違いないと思った。
 肺虚肝実証にて本治法を行う。のち昨夜と同じく数本は毫鍼で患部に置鍼した。それからはてい鍼で体表に貼り付いている邪を取り除くかのように何度も何度も接触しては鍼を引くということを繰り返す。また胆経、大腸経、小腸経を三振して気を巡らせて終了。するとこもっている熱が外へ出てきているのを感じた。脈診するとあれほど浮いていた脉が沈んでゆったりと落ち着いた。母も身体が軽くなったという。これまでになく治療として手応えがあった。

 それから数日後には痛みもほぼ消失した。口の苦味もなくなり食慾も徐々に増していった。母も飼い猫をかまって遊んだりして久しぶりに元気な声を聞いた。


  5.結語
 ◆結果
 83歳の高齢で胆嚢ガンの手術を行い、その傷も癒えかけた矢先での激しい痛み。それにともない食事が摂れない状態が続いた。不安でならなかった。検査結果で内臓には異常がないと言われ一つの不安は消えたものの、はり治療をしても最初は全くと言ってよいほど治療効果が出なかった。益々不安が増すばかり。しかし患者自身が「鍼を刺して(刺入して)ほしいと自ら訴えた。その一言から毫鍼により置鍼を行ってみた。そのことが大きく病症を動かすことになった。患者から苦しさのあまり思わず出た一言。体が何かを感じていたのかも知れない。しかし治療家ならばもっと柔軟に考えを巡らし、もっと早く対処すべきであったと思う。置鍼することで深い部分での気血、津液の滞りがうまく流れ出したのだと思う。そこからこもっていた熱が表面に動き出しうまく治癒へと繋がったのだと思う。体力の消耗を心配するがあまり、治療が消極的になりすぎたように思う。もっと大胆にとらえ治療すべきだったと大いに反省することになった。しかし一時はもう駄目かと思うようなこともあったが、あきらめずにがんばれたのは母親だったからかも知れない。とにかく痛みもとれ、食事も元気な時と同じように食べられるようになってくれた。母が元気になってくれたこと、息子としてこれ以上の喜びはない。


 ◆感想
 結局のところは母の生命力に救われたのだろうと思う。入院する前の日まで畑仕事や治療院の手伝いをしたりとよく働く人であった。手術をした明くる日には病院内のろうかをぐるっと歩いて1周したという。付き添った看護師も高齢でこんなに歩けるのはスゴイと言っておられた。しかしいくら体力があるとはいえ手術のダメージは相当なものであるには違いなかった。原因不明の右側腹部の激しい痛み、医者もその原因が分からなかった。痛み止めも効果なし。そんな時に漢方はり治療ができたことは幸いであった。物が食べられない日が何日も続くと治療をしていても不安になる。しかし自分の中ではこのはり治療で治すしかないと腹をくくった。
 9月に診察に行くと、主治医が「あの後、腹痛はどうなりましたか?整形外科には行かれましたか?と尋ねられた。おそらく気になっていたのだろうと思う。母曰く、「いえいえ、息子がはり治療をしているので、治療してもらって良くなりました」と。すると医師が一言。「息子さんは命の恩人ですね」と。医師からそんな言葉が出るとは思わなかったが…。ともかく今は母も手術前とほぼ変わらぬように日常の生活にもどった。むしろ動きすぎるので無理をさせないように気を配るのが大変なほどである。漢方はり治療に心から感謝したい。

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